大和を巡る旅(8)

古賀 政男

2006年02月19日 12:50

昭和20年4月7日、戦闘機の援護もない特攻を不憫に思った宇垣中将は少数の援護機を大和に独断でつけるのである、この中には伊藤長官のご子息も含まれていた、大和沈没後ご子息は沖縄に向け神風特攻で帰らぬ人となる。 しかし、数日であれ親より長く生きられたことが、せめてもの親孝行ではなかっただろうか。 援護機の離艦を待ちかねたように12時40分約200機の敵戦闘機飛来、大和 爆弾2発魚雷1本被弾、13時30分約150機の敵攻撃機飛来、爆弾3発魚雷9本被弾、右舷注水隔壁注水後も傾斜復元せず、14時23分総員退避命令後横転して大爆発、死者三千名以上・・・。


今回の旅の終わりに思ったこと、大和ロケセット、大和ミュージアムには戦争経験者も多く訪問されているが、小さな子供を連れた家族づれのいかに多いことか、おそらく私を含めその親たちも戦争を知らない。 戦争はかっこいいものでは無い、尊い命がその意思しに反して奪われるむごいものである、不戦の誓いを新たにブログ特集掲載を終える。



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