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歌手入山アキ子が15周年記念曲一泊二日 C/W わたしのふる里を発売。

作詞は久仁京介氏、作曲は四方章人氏。「南部蝉しぐれ」(福田こうへい)のヒットなどで知られるコンビ、熟女の色香と一夜の逢瀬を歌い上げる新曲。


下関唐戸カモンワーフ内、「cha no koku」、小野茶ソフトを職人技でツイストするみどりの姿は一見の価値あり。

小野茶石けん®は、100%植物由来の天然オーガニック石けんです。無香料、無着色、小麦成分は不使用、おもな成分は小野茶葉、竹炭、オリーブの葉。お子様にもぜひお使いください。

13種糖減茶Fは自然の野草をオリジナルでブレンド、1パックで1.5ℓ~2ℓ作ることが出来ます、健康が気になる方にお勧め、お子様でも安心して飲んで頂ける商品です。
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最近釣り場の立ち入り禁止区域が増えています、一部のマナー違反で職業漁師の方とのトラブルも増えています。

空き缶の放置、時によっては海に流すのが心苦しいのか、ビニール袋を石で飛ばないように放置してあることもあります、仕掛けや糸はビニール袋に入れて落ち帰りましょう、海鳥の足に絡んだりして危険です、安全のためにもライフジャケットは必需品です、自分の命を守るため着用を心がけましょう。

釣り場でのマナーを同釣者や子や孫に伝えていきましょう、釣りは楽しいレジャーですから。

船舶用ライフジャケットは通称桜マークの付いたものを、陸釣りの時は通称CSマークの付いたものを必ず着用しましょう、必要な船舶の乗船者にライフジャケットの着用が原則義務化されています。

違反した場合、船長は令和4年2月1日からは違反点数2点(他人を死傷させた場合は5点)が累積点数に付与されますのでご注意ください。

2006年02月28日

ナマコ釣り

今朝は次女の卒業式前日、早起きしてJR萩駅まで車で送ったが会社に出向くには少し早すぎる、
思ったあげく「いけだ釣具」でタコテンヤを買って投げ釣り用のロッドでナマコを釣ることに。
ところが、今日は風で水面が見難くなかなかナマコが見つからない、やっと竿三本分の所に赤ナマコが見つかった、掛けたまでは良かったのだが途中で張り掛かりが浅く海草の中へ・・・。
それからナマコも見つからず、出勤時間になったので本日はこれまで、朝早く行かないと老練な年金親父さんたちが晩酌用に上手く獲って帰っちゃいますからね。

ナマコ酢にしても良いし、沸かしたお湯に酢と塩を入れてスライスしたナマコをサッと湯引きするのも身が柔らくなって美味しいです、でも釣って帰らなくちゃネー。  続きを読む
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Posted by 古賀 政男 at 21:34Comments(5)波止

2006年02月27日

猫玉

ご主人様が魚を釣って帰らないので我が家の愛猫「ニャン三郎」は不貞寝を決め込んでしまった。

この前から80センチと74センチの「真鯛」を頂いて良い物ばかり喰っているので口が肥えてしまってドライのキャットフードなど見向きもしない、おまけに
隣のおばちゃんが行商の魚屋さんで買い物をする時も「アラ付き」の魚をわざわざ買って「ニャン三郎」に与えるものだから輪をかけている。



何とかご主人様も釣りに行きたいが行事も多く中々釣りにいけない。  
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Posted by 古賀 政男 at 23:17Comments(0)雑記

2006年02月26日

夢に出て来た話し

昔、岩国の町に治作と言う若者が住んでおった。

ある日町を歩いていると米俵を積んだ大八車の車輪に轢かれてもがいている一匹の白蛇を見つけた、おそらく大八車の持ち主は蛇を轢いた事に気づかずその場を離れたのだろう。

不憫に思った治作は大八車の持ち手を握ると「うんとこしょ!」と動かし蛇をはさまれた車輪から助け出してやった。

白蛇は轢かれて曲がった背骨で痛々しくも赤い目で何度も治作の方を見ながら石垣の間に消えていった。

それから何年か経った雨の降り続いた年の事、お城のお姫様が大病を患ったとの噂が城下町に流れた、何でも「百年桃」(夢の中で出て来た果実)と言う珍なる桃を食べると患いが治ると言う事も・・・、しかし、「百年桃」は木からもいで食べるまで雨にかかると腐ってしまうものだった。

治作はお姫様のために「百年桃」を採りに行くため懐には濡れないように油紙をしのばせ家を出た、土砂降りの雨の中、桃の木を見つけた治作は濡れないように手ぬぐいで桃を覆いもぎ取るとすぐに油紙で包み大事にお城に向かった。

ところが降り続いた雨でお城に向かう錦川が増水、全ての橋と言う橋が流されてしまっていた、濁流渦巻く川を眺め呆然としてお城に出向く事を諦めその場を離れようと背を向けたところ「治作さん、さあ
橋を渡って」と声がする、思わず振り返ると荒れ狂う濁流に一本の白い橋が架かっている、間には二つのコブが見える、「嘘じゃろー」と思ったがお城に行くためその橋を急いで渡りきると橋は濁流に呑まれていった。

お城に着きお姫様に「百年桃」を献上し、見る見るうちの回復に藩主は喜び治作に「何でもお前の願いは叶えてやろう」とのお言葉を申されたが「いつぞや助けてやった白蛇が私の窮地に現世に出てきてくれたんじゃ、欲をかいてはならん城下の皆が困らんために大水でも流れん橋を殿様に頼んで掛けてもらうことが今度は白蛇へのはなむけじゃ」と思った治作は「褒美はいりません、でも流されん橋を錦川に掛けてつかさんせ」との治作の返答に藩主は名橋「錦帯橋」を作ったそうな。

と言う夢を見ました、「フランケンシュタイン」の話しが見た夢を小説にした話しを聞いた事があります、昨年の錦帯橋の増水での橋脚流出が頭の中にインプットされていたのかリアルな夢でしたが「治作」と言う名前だけは漢字まで夢が覚めても覚えていました、もしかすると前世で何かあったのかな? 夢の中の話ですから本当の「錦帯橋」にまつわる話しではありませんのでご了承くださいね。  続きを読む
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Posted by 古賀 政男 at 12:37Comments(2)物語

2006年02月25日

仕事で相島へ

本来週休日なのだが3月1日は次女の高校卒業式に出席のため
本日振り替え出勤、帰りは仕事の都合で定期船に乗らず
「清福丸」のお客さん回収に便乗、無事萩港に帰り着きました
程なくして「昭生丸」も帰航、お土産に両船長から「さつまいも」を土産にもらって嬉しい限り。

画像左が「昭生丸」番屋船長 090-3370-2091
画像右が「清福丸」西村船長 090-3170-9889
この両名に任せれば相島の磯上がりはOKです
春一番が吹けば暖かくなります、どなた様も相島に釣りに「おいでませ」(萩の方言)  
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Posted by 古賀 政男 at 16:22Comments(2)相島

2006年02月24日

季節の風物詩

しろうお漁が始まりました、春の訪れを告げる四手網漁

松本川河口に4畳ほどの目の細かな網を竹をクロスさせた仕掛けで張り滑車で引き上げます

沈めた網の上をしろうおが通過する頃を見計らって網を上げるのですがそのコツは長年のカンだけが便りです

くじ引きで魚場を決めるのも漁の公平性のため、先月は産卵場作りも行なわれていました。



橋本川では青海苔採りとシジミ捕りが盛んです、汽水域ですからしっかり潮が引いているときなど多くの方が川に入られています、自然の残る萩の町 良いところです。  
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Posted by 古賀 政男 at 22:08Comments(0)汽水域

2006年02月23日

島暮らしの日々

先ほど気がつきました、「島暮らしの日々」相島西瓜部会のTさんが管理しておられるブログ

2月11日から今シーズンの書き込みがされているようです。

昨年は「相島スイカオーナー」で収穫祭の時には私は得意の「ソーメン」を作ってみたり他のスイカオーナーのスイカを誤って摘み取ったり大変楽しいひととき
を過ごしました、今年も多分応募申し込みが公開されるはずです、萩沖40分の船旅釣り好きは収穫祭前日から夜釣りの「イサキ」を狙うのもいいかもしれませ
んね。

画像は私が相島に寄贈した御影石の「スイカ」の置物です、定期船乗り場で皆さんのお越しをお待ちしているはずです。

それともう一つ相島に気になるブログがあるんですがURLが解りません、管理者の方ここを御覧頂いていたらご連絡くださいね。  
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Posted by 古賀 政男 at 21:17Comments(2)相島

2006年02月22日

パソコンが帰ってきた

丁度1ヶ月かかった修理を終えてXpパソコンが帰ってきた
我が家にはメインのMe「ソニー バイオ」 98SE「IBM アプティバ」にXp「マウスコンピュータ」がある
長女が下関に持っていっているXp「NEC ラビ」を含めると4台所有、パソコン貧乏なのか釣具にはなかなかお金をかけられない。
今日は昨日買った「コンパクトロッド」でメバルを釣るための道具をなんと、100円ショップの「ダイソー」で購入、道糸、サルカン、メタルジグ、サビキ、シモリペットまで購入。 でもソフトルアーまでは無かったので「フィッシングセンター 海幸」さんでシンカーとジグヘッドつきのソフトルアーを購入、アフター5にはメバルを釣る気満々でしたがあいにくの雨模様、挫折してリールに糸を巻いております。
「U村」さんの情報で釣りに行きたいのは山々なんですが。  
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Posted by 古賀 政男 at 22:18Comments(0)波止

2006年02月21日

コンパクトロッド

思わぬ掘り出し物を見つけました
ネットではよく見かけていつかは買おうと思っていたのですが萩に来ていた通称「バッタ屋」さんの特設店舗で見つけました、(画像リンク先の業者さんとは関係ありません)家に帰って早速開封、リールの締め付け部が多少危なっかしかったですが全体的には「メバル」「カサゴ」を釣るには問題ないかと思います。
ソフトワームもいいですし萩では「シロウオ」も捕れるシーズン、これで釣るのも面白いものです、まあ、シロウオはお魚さんに食べさせるより人間様が「踊り食い」や「天ぷら」で頂く季節の風物詩です。
ペンタイプ ロッド&リール (釣竿) ブラック  
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Posted by 古賀 政男 at 21:44Comments(0)波止

2006年02月20日

磯から74センチの真鯛

恐るべし相島の磯!! 

大和アホから脱出してさあ仕事するぞって11時便で相島で仕事をしていると入電

「豆の館」の豆さんから「古賀さん今日はお土産があるよー」と言う電話、今週も相島の磯で磯釣りらしい、「お土産ってなんだろう?」と思いつつ先に帰萩、14時40分に定期船到着後ほどなくして瀬渡し船「清福丸」着岸、ドンゴロスの中にはビックリする釣果、真鯛74センチに黒鯛53センチの好釣果。

黒鯛(チヌ)53センチが氏の新記録だそうで「赤い方あげる」って言う事に「嘘でしょー!」でもせっかくだからありがたく頂いて「鴨葱」さん「さんぼ」さんと3人で分け合いました。

磯からこんな大きな魚が釣れるんだから「相島」いいところですよねー。  
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Posted by 古賀 政男 at 20:10Comments(0)沖磯

2006年02月19日

大和を巡る旅(8)

昭和20年4月7日、戦闘機の援護もない特攻を不憫に思った宇垣中将は少数の援護機を大和に独断でつけるのである、この中には伊藤長官のご子息も含まれていた、大和沈没後ご子息は沖縄に向け神風特攻で帰らぬ人となる。 しかし、数日であれ親より長く生きられたことが、せめてもの親孝行ではなかっただろうか。 援護機の離艦を待ちかねたように12時40分約200機の敵戦闘機飛来、大和 爆弾2発魚雷1本被弾、13時30分約150機の敵攻撃機飛来、爆弾3発魚雷9本被弾、右舷注水隔壁注水後も傾斜復元せず、14時23分総員退避命令後横転して大爆発、死者三千名以上・・・。


今回の旅の終わりに思ったこと、大和ロケセット、大和ミュージアムには戦争経験者も多く訪問されているが、小さな子供を連れた家族づれのいかに多いことか、おそらく私を含めその親たちも戦争を知らない。 戦争はかっこいいものでは無い、尊い命がその意思しに反して奪われるむごいものである、不戦の誓いを新たにブログ特集掲載を終える。

  
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Posted by 古賀 政男 at 12:50Comments(0)男たちの大和

2006年02月18日

大和を巡る旅(7)

昭和20年アメリカ軍は沖縄上陸、奪回の命を受け「天壱号作戦」を受け入れた第二艦隊では4月5日有賀艦長の「総員集合、前甲板!」の下令で集合、チーク材で張り巡らされた通称「大和デッキ」に集合、訓示を聞いた。
同夜、「酒保開ケ!」の号令で各部署で出撃前の酒宴がもようされた、21時能村副長の「今日はみな愉快にやって大いによろしい、明朝はまた早いからこれで辞めるように」との艦内放送で速やかに酒宴止む。
4月6日徳山港入港、よく言われる「片道特攻」ではなく、基地タンクの底に残った重油を帳簿外として大和には注油、少なくとも往復分の燃料は確保されていたようである。
同日連合艦隊司令部より草鹿参謀長が大和を訪れ作戦命令を説明するが第二艦隊各艦長から意義噴出、しかし草鹿参謀長の「一億特攻のさきがけに」との言葉に第二艦隊伊藤盛一司令長官の「我々は死に場所を与えられた」との言葉で水上特攻を決意、同日徳山港を出航、しかしすぐに敵潜水艦の索敵を受けるが豊後水道を通過していくのである。

1/10大和を上部から見ることが出来た、11日1/1大和の通称大和デッキを歩いてそこで千名余の将兵が有賀艦長の訓示を聞いたのだと思うと感動したものだが、艦首部分からのショットをよく見るが艦尾部分からの大和を上方から見られるのはこの「大和ミュージアム」か当時の飛行機しかないのである、三千名余の将兵が4月5日に交わした杯、戦果の期待であったか守るべき人への別れの杯であったか、今では知る由もありません。  
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Posted by 古賀 政男 at 00:46Comments(0)男たちの大和

2006年02月17日

大和を巡る旅(6)

艦矯部である、大和の指揮系統をここで行っていた、敵に狙われにくくするためきわめてスリムに設計されている。
頭頂部に見えるのが射撃指揮所方位盤などが備えられている、レーダーもこの部分に見られる。
話は前後するが、燃料不足のため昭和18年トラックに9ヶ月の間投錨した大和は前戦の指揮を行なったがこのとき上位士官たちは「大和ホテル」と称されるかつての戦艦とは比べ物にならない居住環境、料理で戦いの疲れを癒すためもてなされたようである。

旅行2日目、広島県呉市の「大和ミュージアム」に着いた、入り口前には瀬戸内海に沈んだ「戦艦陸奥」の錨やスクリュー、41センチ砲が引き上げられ展示されている。
入場すると呉の過去、現在、未来を見ることが出来る、ここでの見どころはなんと言っても1/10の大和である。
昨日の尾道の1/1大和では見られなかった迫力のある全体としての大和、艦橋部や艦尾部も見ることが出来てこれもまた感動、驚いたのは今回掲載しないが「宇
宙戦艦ヤマト」に登場する「アナライザー」が3階で出迎えてくれた事だった、更に進むと宇宙戦艦ヤマトのカットモデルが展示してありこれもモデルファンな
らよだれものの出来だった。  
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Posted by 古賀 政男 at 18:36Comments(0)男たちの大和

2006年02月16日

大和を巡る旅(5)

レイテ沖海戦から呉に帰航した大和は艦橋周辺部に大規模な改装を施すことになる。
左右の副砲2基を撤去した後、多数の対空火器類を装備、12.7センチ連装高角砲は両舷で12基が備えられている。
高角砲、そして25mm3連装機銃の用意がされ、まるでハリネズミのように敵航空機からの防御装備を施すことになった。

実物大の大和の火器群を見ると難攻不落の浮沈艦をイメージせずにはいられなかったが、この形がわれわれの知るところの大和の姿ともいえる。
多くの将兵たちが敵戦闘機の攻撃にさらされながら守るべき人のため散っていったと思うと胸にこみ上げるものがあった。  
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Posted by 古賀 政男 at 19:58Comments(0)男たちの大和

2006年02月15日

大和を巡る旅(4)

壮絶なり「レイテ沖海戦」、フィリピン奪回のため小沢機動部隊は空母「瑞鶴」を囮にハルゼー機動部隊をひきつけた、これによりブルネイを出撃した「武蔵」
「大和」を主力とした第一遊撃部隊は他2隊とレイテ湾突入を目指す、だが僚艦「武蔵」は敵魚雷20本、爆弾17発を受け沈没、その後栗田艦体は謎の反転を
決しフィリピン上陸は夢と終わる。
この戦いで日本海軍は二十数艇の艦艇を喪失し、事実上ここから特攻攻撃が発案されていく。

主砲後に副砲がある、この海戦に置いて駆逐艦「ホエール」を副砲で沈めている、日本海軍初の三連装砲で重巡「最上」の主砲を転用、15.5センチ砲で大和完成
時には前後両舷に1基づつ計4基配置してあったがレイテ沖海戦後呉で両舷2基が取り外され新たな火器が配備される事になる。  
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Posted by 古賀 政男 at 19:46Comments(0)男たちの大和

2006年02月14日

大和を巡る旅(3)

昭和19年6月、次の大和出撃はマリアナ沖海戦である、倍近い戦力を有するアメリカ軍の前に46センチ砲を使用するも日本軍は空母3隻、艦載機400機余
を喪失、航空部隊は事実上崩壊の打撃を受ける。大和はまたもその威力を発揮する場を与えられず空しく引き上げるしかなかった。

入場料500円を支払いロケセット大和の前方左舷部下を進むとデッキに上がる階段を上がると巨大な主砲が目に入る46センチ主砲である、第一主砲はCGで本編で
は作られているので基台のみだが画像は三連第二主砲である、主砲発射時はデッキの乗組員に退避命令が出るほどの衝撃波が出たらしい
日本海海戦以来の艦隊決戦なら40キロメートルの射程を誇る大和であったが、真珠湾攻撃で軍艦が飛行機で沈められる事をアメリカに意識させたのは他ならぬ日本軍のゼロ戦である、開戦当初竣工した大和であるが生まれたその時から決定付けられていたのだろうか・・・。  
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Posted by 古賀 政男 at 21:26Comments(3)男たちの大和

2006年02月13日

大和を巡る旅(2)

実物の戦艦大和は太平洋戦争戦争開戦の真珠湾攻撃から8日後に広島県呉で竣工を向かえた。
大和が最初に出撃したのはミッドウエー海戦である、このとき空母の後方に位置した大和は戦闘に加われずにいる、大和の弱点空母より遅い27ノットが災いしたのである。
広島県尾道市の向島に位置する日立造船には今、「男たちの大和」の映画ロケで使用された1/1撮影用大和が5月7日まで公開されている。
駐車場に到着すると大型バスでの2分間の移動、倉庫の角を曲がって菊花紋章を艦首に頂く大和が見えると車内からは思わず「ウオー!」と歓声が上がる、まずは
艦首部分で記念撮影、写真屋さんのカメラももちろんデジタル、一回りすると1,000円でお土産用に販売してあった、ちなみに今日の画像は写真屋さんに
撮ってもらった私のデジカメの画像、さすがにプロの構図ですね感心します。
さあいよいよ明日の掲載は1/1体験公開。  
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Posted by 古賀 政男 at 22:24Comments(0)男たちの大和

2006年02月12日

大和を巡る旅(1)

2日間に渡る「大和を巡る旅」事故も無く先ほど帰宅しましたので1週間をかけてレポートをお送りしたいと思います。
まずは初日、朝8時に萩市役所を出発、宮野から周南市までベタ道を通過後徳山東インターから山陽自動車道を使って一路「尾道」へ、高速道路とは言えどかなりの道のり、ドライバーとしては同乗者の安全を祈るばかり。
カーナビの案内通り尾道にたどり着きましたが、間近になって渋滞に遭遇、その側をサイドカーが反対車線を通り過ぎてゆく、案の定対抗車線から車がやって来た、単車ならスイスイ潜り抜けられるだろうが普通乗用車並のスペースを取るサイドカー、対向車にパッシング、ホーンのブーイイングあえなくバック(サイドカーにはバックギアがある)人生まっとうに生きなきゃ。

初日はとにかく1/1「大和」を見ることが第一目標、駐車場に車を停めるとバスの送迎でなければ会場にたどり着けないらしい、僅か2分の運行だがバスの運転手さんのアナウンスの気前のいいこと、「大和」が見えてくると車内から「ホー!」と感嘆の声然り、実物の「戦艦大和」を見たことが無い人たちばかりだから(私も当然)その大きさに思わず圧倒されてしまいました。
これから見る「大和」どんな驚きを私に与えてくれるのでしょうか?  
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Posted by 古賀 政男 at 22:01Comments(0)男たちの大和

2006年02月11日

いきなり今夜の話になりますが

今日明日と尾道と呉の「戦艦 大和」を巡る旅に出かけているのだが旅行記の方は明日からおいおいブログに書き込んでいく予定、しかし嬉しかったのが倉橋の「日美丸」さんがブログを見て宿泊先の「音戸ロッジ」の駐車場に大将と女将さんのご好意で貸していただいた「冨田屋号」を訪ねていただいたこと、おまけに今回の旅行は次女「蛍」の高校卒業記念旅行を兼ねていたのだが親子で呉の屋台に案内して頂き其処で食べたおでんの「巾着」が
美味しかったのに「蛍」大喜び、〆は「博多ラーメン」?これも美味かった。
明日は「大和ミュージアム」に行くのだけれどプラクティス頂いた「日美丸」さん明日の漁、豊漁を願っています。  
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Posted by 古賀 政男 at 20:21Comments(0)男たちの大和

2006年02月10日

明日あさっての予定

いよいよやってきました「男たちの大和」を巡る旅、「冨田屋」さんのご好意でお借りする事が出来たキャラバンで朝8時に萩市役所を出発、山陽道で一路尾道「日立造船1/1ロケセット」に、道が解りませんが尾道を散策、これまた山陽道を何処で降りたら良いのか解りませんが宿泊地呉の「音戸ロッジ」へ、旅の疲れを癒して温泉入浴、会食の後就寝。
12日は朝食後「田原漁協」の牡蠣祭りに突撃! 焼き牡蠣、生牡蠣を堪能して呉の「大和ミュージアム」へ、1/1大和他を見学(「萩魚図鑑」さんによると見て回るのに3時間くらいかかるそうな)17時までには山陽道で萩に帰りつく予定、やっぱり道路の凍結が一番心配です。  
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Posted by 古賀 政男 at 23:10Comments(0)男たちの大和

2006年02月09日

栗之助ウキ

【冬の大放出フェアー開催中!!】釣研 栗之助ウキ 3B オレンジ「栗之助ウキ」、下膨れで凪の釣行に向くそうだ。
「安田 栗之助」といえばその昔「栗之助の釣りランド」を週末になれば見ていた、最近では「我ら釣りキング」でも活躍中のフィッシングタレントである、CDまで出していたとは知りませんでしたがアウトドア料理も面白く好きなタレントの一人である。  
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Posted by 古賀 政男 at 23:38Comments(0)波止